うどんエンジニアの備忘録

過去を振り返ったり、日々の内容で思ったこと、感じたことを書いていきます。

内定ブルーになった経緯

まずは自己紹介

  • 20卒 情報系大学院生
  • 香川出身(地元で生まれ地元で育つ)
  • 2020年3月現在 地方国立大学修士2年生
  • Sier中堅企業に内定 文教SE志望
  • マイホームページ
  • twitter @qw000q
  • ブログ歴 3か月 (投稿頻度低め)

内定ブルーとは

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内定ブルーのイメージ

私の就職活動

riest817.hatenablog.jp

内定ブルーになったきっかけ

当時の私は就職活動にとても苦戦していました。第1志望群にあった企業の選考は全て落ち、なかなか内定先を決められずにいました。7月の時点で内々定を頂いたのが2社だったのですが、そのうちの1社に絞って他の1社に内定辞退の連絡をした途端に急に本当にこれでいいのか、もう少し考えたほうがよかったのではないか、という思いが頭の中を巡り、漠然とした不安がこみ上げてきました。内定を1社に絞った日の1週間は、軽い鬱状態で研究もあまり進まなかったですし、大好きであるゲームも楽しめずあまりやらなかったです。

内定ブルーになってしまった就活での反省点

今になって内定ブルーになった就職活動での原因を考えると以下のことが挙げられると思います。

  • 内定を獲ることに重きを置きすぎた

就職活動で内定を獲ることは通過点であると今は感じています。しかし、就職活動をやっていた当時の私は早く内定先を決めたいという思いに必死になりすぎていて、内定後、就職した後のイメージがあまり考えらていませんでした。

  • 業界分析の甘さ

就職活動中の私は、プログラミング教育に関われる仕事に就きたいという志望で就活をしていました。そこで、文教分野に事業を広げている企業を中心にエントリーしました。エントリーした企業は全てSier企業でしたが、私はSierについてほとんど調査していませんでした。当然、Sierの闇についても全く知りませんでした。

  • 内定先企業の下調べの甘さ

私が内定先に決めた企業をエントリーしたのは6月ごろです。当時の私は、思うようにうまくいかない就活の状況に焦りを感じていました。そういった焦った状況化でエントリーした企業だったのでろくに下調べもせずに、文教分野に事業を展開している、福利厚生は悪くない、研究室のOBの人が在籍している、の3点のみでエントリーしてしまいました。

内定ブルーをOBの人に相談

当時、内定ブルーで研究が進んでいなかった私は、大学の研究室の先生に相談しました。返ってきた回答は、「実際にその企業で勤務しているOBのひとに相談してみれば。」と言われ、OBの人にメールで相談すると、実際に私のいる香川まで来てくれるとのことでした。そして、直接内定ブルーに関する悩みをOBの人に相談した結果、とても丁寧に相談に乗ってくださり内定ブルーはだいぶ晴れました。研究室の先生とOBの方にはとても感謝しています。

内定式と懇親会

2019年10月に東京で内定式と謝恩会がありました。また、内定式後にグループワークがありました。

私はグループワークがとても苦手で、このことは就職活動を通しても明らかでした。グループワークは全く下準備ができないし、その場でのグループでの適応能力、協調性、コミュニケーション能力が試されます。グループのメンバーはみんな頭の回転が速いし、自分の意見を自信をもって発信します。私は周りに飲まれて、完全に思考停止していました。内定式は、自分の無力さを痛感した1日でした。

内定先の企業について調べてまとめてみた

riest817.hatenablog.jp

社宅に関する連絡が全く来ない

これは2020年1月の出来事です。

うちは会社は社宅制度があるので引っ越し先の手続きを会社に一任しているのですが、それら関連の内容が2020年1月時点で全く会社から来ないんですよね。私は実家暮らしなので比較的問題ないのですが、同期の一人が不安に思い会社に問い合わせたところ4月から研修期間限定でシェアハウスになることが分かりました。1人暮らしの人は今ある家電などの大きな荷物の処理を早い段階で決めないといけないのに会社からこの時期になっても何も連絡なしって不安になると思います。問い合わせた同期の人は怒ってました。この同期の人が内定者グループLINEに周知してくれたおかげで私たちは早い段階で引っ越しに関する概要を知ることができました。本当に感謝しかないです。ちなみに、正式に会社から引っ越しに関する連絡が来たのは3月になってからです。<

内定先企業の不祥事ニュース

2020年1月末に私の内定ブルーを駆り立てるニュースが飛び込んできました。内定先企業が、循環取引で不正に売り上げをかさ増ししていたといった内容でした(Yahooのトップニュースにも掲載されました)。このニュースで、私は内定先の企業に対してものすごい不信感を感じました。そして、両親から友だちからネット上の人たちまでいろんな方々に相談しました。内定辞退をしようとまで考えましたが、今になって冷静に考えると内定辞退はしなくてよかったなと思います。ちなみに、内定者に不祥事に関する周知(メール)は2020年3月現在、来ていません。

内定ブルーを通して変わったこと

内定ブルーは決して悪いことばかりではなかったです。内定ブルーになったからこそ、危機感が芽生え、いろいろ情報収集をしました。

まず、情報収集用のためにtwitterのアカウントを開設しました。(@qw000q)本当は就活用のtwitter垢だったのですが、ほとんど息をしていなかったです笑。また、エンジニアとして学習した内容を情報発信できるように、Qiitaやはてなブログ、自分のホームページも開設しました。情報発信することで、学習した内容を整理でき、また、転職活動でもこういった情報発信等の活動は評価されます。

内定が決まってからの6か月の間で学んだ内容などを情報発信する癖は付いたと思うし、これからも情報発信はしていきたいと思います。

書籍「完全Sier脱出マニュアル」

私がまだ就職もしていないのに、転職活動を意識しているのは、以下の書籍に影響されています。内定ブルーの期間中に一番影響された書籍です。入社してまもない新卒社員でも転職活動はするべきです。本当に転職するかは別として。新卒カードを切ってまで入社した会社が本当に自分のキャリア形成に有効な会社なのかどうは転職活動を通してみないと分からないことが多いと思います。過去に別の会社の正社員として勤務したことがない新卒社員は比較対象がないからです。スキルアップできない雑用をひたすらやらされ続け、ブラック企業に勤務している自覚がないのはとても恐ろしいことです。 jumpei-ikegami.hatenablog.com

内定ブルーを通して影響された著名人

  • Utsuさん (YouTuber・就活アドバイザー)

就職活動中もお世話になりました。就職活動では「人生の目的」について考えることを提唱してします。SES(客先常駐型エンジアリングサービス)は、新卒のキャリアを潰すと考え、とても否定的です。

  • KENTAさん (YouTuber・WEBエンジニア)

WEB界隈ではとても有名な人です。未経験からWEBエンジニアへの転職を支援するオンラインサロン「雑食系エンジニアサロン」を運営しています。新卒カードは、SierではなくWEB系の企業で使うべきという動画はとても印象的でした。

  • gamiさん (エンジニア)

書籍「完全Sier脱出マニュアル」の著者です。この書籍に私はとても影響されました。SierからWEBに転職しようか考えているエンジニアをイベントや情報発信を通してあと押ししています。また、定期的にSierに勤務されていたゲストをお呼びして実体験を聞くポッドキャスト「しがないラジオ」を配信しています。

SierからWEB系企業へ転職された一人です。実際に勤務していたSier系企業での経験をもとに未経験からのエンジニアに転職する人への有益な情報を動画で配信しています。クラウド系の最新情報なども配信しています。

他多数

さいごに

来月から新社会人として、勤務することになり、中には新社会人への希望を抱くひと、不安しかないひと様々ですが私は完全に後者です。これに関しては、その人の性格に依存するところが大きいと思います。私は、内定が決まってから今までずっと不安を感じていましたが、以前よりはだいぶ軽くなったと思います。やはり、入社してみないと分からないっていうのが結論ですし、内定の段階で必要以上に不安に駆られるのは良くないと割り切っています笑。

また、今までは香川での就活だったので情報量、交通面、金銭面でとても苦労しましたが、東京に就職したら東京を拠点に活動できるので、もっと知見を集めていろんな人と交流しより良い企業に転職できるようにスキルアップをして市場価値を高めていきたいです!

大学生が4年間の塾講師アルバイトの振り返りと日本の学校教育について思うこと

まずは自己紹介

  • 20卒 情報系大学院生
  • 香川出身(地元で生まれ地元で育つ)
  • 2020年3月現在 地方国立大学修士2年生
  • Sier中堅企業に内定 文教SE志望
  • マイホームページ
  • twitter @qw000q
  • ブログ歴 3か月 (投稿頻度低め)

塾講師としての経歴

私は学生の間、個別指導塾の塾講師として4年間アルバイトをしていました。具体的な期間は、学部1回生の冬から院生1回生の終わりまでです(厳密には4年と4か月)。 実は、この4年間の間に一回、アルバイト先の塾を変えています。1つ目は1年間勤務し、2つ目は3年と4か月勤務しました。また、約2年間家庭教師の経験もあります。個別指導塾の塾講師と掛け持ちでやっていました。

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塾講師のイメージ

この記事での目的

学生期間に約4年間もの塾講師のアルバイトを経験した学生はなかなかいないと思います。塾講師のアルバイトを通して得られた知見をブログを通してフィードバックし、またアルバイト塾講師の視点から日本の義務教育の現状を伝えられたらなと思います。

指導してきた生徒の年齢層と指導した科目

今までに指導した生徒の年齢層は、小学1年生から大学1年と幅広かったです。

小学生は、主に国語と算数を指導しました。小学6年生は、中学生への準備として英語を指導する場合もあります。

中学生は、主に数学と英語を指導しました。夏期講習などの期間は理科や社会も指導します。

高校生は、数学を指導しました。物理や化学、英語を指導したこともあるが、私の実力が指導できる域に達していないため断念しました。

生徒を直接指導する際に気を付けたこと

個別指導塾での塾講師は、基本的に講師と生徒が1対2で指導します。よって、講師と生徒が直接コミュニケーションをとる機会がとても多いです。当然、このコミュニケーションはとても大事で、生徒の学習意欲にも大きく影響します。私は生徒とのコミュニケーションで以下のことを気を付けました。

生徒の理解度が低いからといって怒らない

この事項は最優先で気を付けました。生徒それぞれの理解力というのは様々です。私が指導した内容が生徒に伝わっていないなあと感じたら基本的には教えた自分が原因だと感じていました。そうすることで、私が感情的になってしまうことを抑えることができました。先生が感情的に(特にイライラや怒り)なってしまうと、生徒に大きなストレスがかかってしまい、生徒の学習意欲や効果は著しく低下します。それでさらに、講師がイライラしてしまうともう負のスパイラルです。

生徒に敬語を使ってはいけない

大人同士のコミュニケーションでは、初対面ではまず敬語で話さないと失礼にあたります。しかし、自分が塾講師の立場で生徒と初めて言葉を交わすときは敬語を使ってはいけません。敬語を使うことによって、講師と先生の間で余計な距離感を生んでしまい、その余計な距離間が生徒にストレスを感じさせます。小学生高学年ぐらいから上の生徒は、講師に対して敬語で接しても、私はため口でいきました。

生徒と講師の距離感を大事にする

しかし、馴れ馴れしすぎるのもよくありません。生徒の中には人見知りする子もいます。私の性格も人見知りするタイプなのでよく分かるのですが、こういう傾向にある生徒は必要以上にコミュニケーションをとろうとすると嫌がります。しかし、人見知りする生徒も指導する回数が増えるにしたがって、生徒側からコミュニケーションをとってくれる場合もあり、そのときはとてもうれしいです。生徒と講師の距離感は、生徒の性格やその生徒への指導歴に合わせて使い分けました。

生徒を子ども扱いしない

大人と接するように一個人として接してあげるということです。これは、小学生低学年にもあてはまります。例として、生徒が基本的な問題に正解したからといって過剰に褒めたりすることです。生徒側からすると、なんかバカにされてるな、と感じられかねません。もちろん、指導する側として褒めるという行為はとても大事なのですが、この行為を使いすぎると逆効果でした。

難しい言葉や専門用語を使わない

特に中学生以下の生徒に対しては、直感的に理解させることが大事かなと私は思っています。そのためにも難しい言葉や専門用語は使わないようにし、論理的に伝えても生徒には分かってもらえないことはよくあります。短い言葉で端的に教えた方が生徒は分かってくれました。

保護者の方との面談

私が働いていた塾では、アルバイトでも保護者と生徒との3者面談の業務がありました。面談を通して話した内容は、指導した内容ではなく、学習しているときの様子や家での学習方法、そして学校でのテストの点数のフィードバックです。これらの内容のほうが保護者の方は熱心に聞いてくれます。

また、私の指導への満足度は、保護者の方との面談で分かります。直接的なクレームは1回もありませんでしたが、生徒の成績があまり伸びていない場合の面談はとても気まずいものがあります。

家庭教師での経験

約2年間、中学生の家庭教師を担当していたことがあります。家庭教師を始めたきっかけは、個別指導塾に通っていた生徒が塾だと集中できないので家庭教師として指導に来て欲しいと私に直接頼まれました。家庭教師は責任も大きいしあまり乗り気ではなかったのですが、個別指導塾に勤務されていた数ある講師の中から指名して頂き、とても嬉しかったので承諾しました。

家庭教師は、塾の社員を介さず直接保護者の方と毎回のコミュニケーションが必須になります。受験シーズンも担当していたので、保護者の方の熱意もとても伝わり責任はとても大きかったです。幸いにも担当した中学生は志望校に合格し、後日に直筆で感謝の手紙を送って頂きました。そのときはとても嬉しかったですし、とてもやりがいを感じました。ただ、もう家庭教師はやりたくないです。プレッシャーがとても大きかったので笑

私が学校教育について感じたこと

私は4年間もの個別指導塾の塾講師として、様々な生徒の学習をサポートしてきました。その中で特に感じたことは、私が小中学生の頃の学習環境と今の小中学生の学習環境がほとんど変わっていないことです。学校教育で学ぶ各科目の学習内容もほとんど変わっていませんでした。先生が黒板で教えながら生徒は教科書という紙媒体を通してインプットし、鉛筆やシャーペンでノートにアウトプットします。そして、宿題は学習ドリルです。10年間何も進化していません。私の両親が小中学生の頃もこのような学習方法だったと思います。仮にこの学習環境が進化していない日本の学校教育が続けば、時が進むにつれてどんどん時代錯誤になっていくのではないかと思います。

私が教育の未来について思うこと

最近(2020年3月)、ニュースで新型コロナウイルスの蔓延を防ぐために日本政府が小中高校の一斉休校を要請しました。つまり、学校が予定していた3月の教育内容は保護者の方々や学童施設に全て丸投げされることになります。一方、先に新型コロナウイルスが蔓延して一斉休校となっていた中国ではリモート授業で対応しました。つまり、日本よりも中国のほうが教育のIT化は進んでいます。教育の面でも日本はIT後進国です。これを機会に日本の停滞した学校教育を見直すべきだと思います。2020年には、全国の公立小学校でプログラミング科目が必修化されます。そして、児童一人一人にタブレット端末が支給されるそうです。ようやく、日本の学校教育もIT化のスタートラインに立てたような気がします。私は、文教SEとして日本の学校教育もIT化に貢献したいです。そして、日本の子どもたちにプログラミングの楽しさ、勉強の楽しさをITの面から伝えていきたいです。

参考文献

大学生の4年間を振り返って

まずは自己紹介

はじめに

ブログを最近、始めました。4月から晴れてエンジニアデビューするのですが、やはりエンジニアになるにはアウトプットする能力がないといけません。これから新しい技術にどんどん触れてインプットして、自分の中で情報を整理しながらアウトプットすることで初めて新しい技術が身についたといえると思います。私には、文章を書く力、アウトプットする能力に自信がありません。これからもQiitaはてなブログでどんどんアウトプットしていきたいです。 大学院の修士論文の発表も終え、学生生活も残すところ卒業式のみになりました。大学生活をブログで振り返りながらアウトプットする練習をしたいと思います。そして、社会人になるこの直前のタイミングで自分の学生時代を振り返ろうと思います。

B1 (学部1年生)

2014年の春、私は1浪を経て地元の国立大学の情報系の学科に入学しました。

情報学科の選択

情報系の学科を選んだ理由は、パソコン関係の内容をもっと勉強したかったからというしょーもない理由でした。大事な選択の割には浅はかだったと当時を考えると思います。ただ、この情報系を選んだ選択というのは自分の中では正解だと思っています。小、中、高と授業をしてきてPCに触れる授業が一番ワクワクしたし、一番得意でした。小学生のときに初めて選んだクラブ活動がコンピュータークラブでした。当時、学校のPCに入っていたジャストシステム社の「一太郎スマイル」はとてもよく覚えています。中学生のときもPCの授業はとても楽しかったです。(先生の目を盗んで検索してはいけないワードばっかり検索していました。)高校の授業での、htmlを使ってホームページを作る演習授業では誰よりも早くクオリティの高いページを作った記憶があります。(高校のPCでやったので証拠はございませんm(__)m)

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一太郎スマイルの目次画面

ゴルフ部の入部

どこの大学にも新歓祭(新入生歓迎祭)というものがあると思います。私は、どうもその新歓祭の雰囲気が嫌いでした(根っからの陰キャなもんで...)。友達とかはみんな新歓の誘いでいろんなサークルに顔をだしていたらしいですが、私は一切、どのサークルにも行きませんでした。ただ、サークルには入りたいと思っていたのでゴルフ部に決めました。自然と共存したスポーツが好きで(高校はカヌー部でした)、ゴルフは前々から興味はありました。新歓のパンフレットでゴルフ部の連絡先を調べ、直接連絡して入部しました。

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ゴルフ

初めて触れたプログラミング

後期にプログラミングの授業が週2でありました。水曜の1コマは授業で、金曜の1コマは演習です。プログラミングの授業で扱う言語はC言語です。初めての演習では、コンパイルと実行方法が分からずにTA(ティーチングアシスタント)に質問しまくりでした。周りの友達を見渡しても質問しまくっているのでは私一人だけでした。おそらく授業を全く聞いてなかったでしょうね(^^;) そして、初めてコンパイルしてエラーを出した内容は覚えています。初めてのエラーは、全角のエラーでした(初心者あるある笑)。当時使っていたエディタはメモ帳です笑。ただ、当時の私は何のエラーか全く分からずTAの人に聞いたのですが、TAの人も解決できませんでした(TAは大学院生)。おそらく初歩的すぎてTAの人も見たことのないエラーに戸惑っていたのでしょう笑。

プログラミングの演習を繰り返していくうちに

プログラミングの演習の形式は、チャイムと同時に問題がプログラミング専用ページに開示され、それらの問題を演習時間内に解くというものです。終了のチャイム後に提出するとその問題の点数が6割になります。私は周りに遅れまいと翌週からしっかり予習をして必死についていきました。演習を繰り返していくうちにだんだんプログラミングが楽しくなっていきました。予習も毎週続けることができました。1年後期で予習していたのはプログラミングの授業ぐらいです笑。この授業でのプログラミングの成績は「優」でした。

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当時プログラミングの授業で扱っていた教材
この時期には以下のようなプログラミングの基礎概念を学びました。

  • CUIでの入出力
  • if文、for文、while文
  • 配列
  • 関数
  • 再帰

塾講師のアルバイト開始

学部1年生の12月に個別指導の塾講師のアルバイトを始めました。アルバイトを塾講師にした理由は、今までは勉強を教えられる立場でしたが、教える立場にもなってみたいという単純な理由でした。あとは、勉強に関してそこまで嫌いでもなかったし、時給も他のアルバイトよりも高めでした。主に中学生を教えていたのですが、いろんな個性のある生徒さんと雑談を交えながら指導するので毎日が刺激的でした。1年の冬休みは、ほぼ毎日フルコマで入っていました。このアルバイト経験で、個別指導特有のコミュニケーション能力、知識のアウトプットは鍛えられたと思います。

B2

プログラミング演習本格化

学部2年生の前期にもプログラミングの授業が週2でありました。水曜の1コマは授業で、木曜の1コマは演習です。1年後期のときと同じでC言語を扱うのですが、演習量が増え、難易度が上がります。演習内容は、制限時間内に6問の課題が出題され、解答が早い順に得点を獲得でき、履修生の順位が常に公開されている状態です。プログラミングコンテストが大学の演習授業内で行わている感じです。この形式が、私のプログラミングに対するモチベーションを駆り立てました。演習授業後は、翌週までに8問の課題が課されます。これもさぼらずにやり続けました。授業開始当初は、60人中真ん中ぐらいの順位でしたが、演習授業の最終回では40人中(開始当初から20人が履修解除)2位にまで上り詰めました。 この時期には以下のようなプログラミングの概念を学びました。

  • ポインタ処理 -ファイル入出力
  • 列挙体とデータ型定義
  • 文字列と文字列処理関数
  • 構造体とメンバ、抽象データ

プログラミングサークル入部

プログラミングにはまった私は、プログラミングサークル(通称SLP)に入部します。サークルの部員は先輩、同期、後輩共に優秀な方ばかりでした。活動内容は、国内のプログラミングコンテストに参加したり、先輩のインターンなどのLTを聞いたりと様々です。また、この頃に先輩に教わりGithubの登録を行いました。しかし、当時gitについて何も分かっておらず(今もそんなに理解できていない)、リポジトリの作成方法のpushのやり方を先輩から教わりましたが、これ以降githubにアクセスすることはありませんでした。

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2015年のGitHubのcontribution

SLPへのリンク先:poulenc.eng.kagawa-u.ac.jp

塾講師のアルバイトを一旦、辞める

今まで勤務していたアルバイト先は深刻な人手不足でした。塾業界では割とあるあるの由々しき問題です。人手不足のしわ寄せは私たち塾講師アルバイトに負担がいきます。バイト開始当初は指導できないと報告したはずの科目の指導にあたったり、私の学歴より上の大学を志望する高校生の指導も任されたりしていました。はっきり言って、生徒さんが満足するような指導はできなかったです。それは、生徒さんの表情から感じ取ることができました。指導後に申し訳ない気持ちになりました。こういった日々が続くことに耐え切れなくなり11月いっぱいで塾講師を一旦、辞めることになります。

塾講師のアルバイト再開

ある日、中学の同級生から塾講師アルバイトの勧誘されます。私が塾講師のアルバイト経験があることを知って誘ったそうです。その塾はできたばかりでまだ生徒数も少なく、塾講師と生徒数のバランスも良く人手不足ではない状況でした。私は、人に何かを教えるということにはまだ情熱を持っていました。もう1回塾講師にチャレンジしてみて向いてないなと思ったらすぐ辞めようという覚悟で、新しくできた塾で塾講師のアルバイトを再開しました。今までの塾講師での経験が評価され、講師リーダーに任命されます。電話応対や保護者との面談、家庭教師など様々なことを経験させて頂きました。結果的には、3年以上もその塾に勤務することになります。

ゴルフ部の退部

2年生になった頃からゴルフに対するモチベーションが急激に下がります。1年生の頃は週2で、打ちっぱなしのゴルフセンターで練習しに行っていたのですが、2年生になると月1ペースまで下がりました。部費も月3000円でさらにコースに回ったりゴルフクラブ購入などでなかなかに痛い出費でした。また、長期休みでは必ず行ってたゴルフ場の先輩からの誘いも断るようになり、人間関係も悪化していました。私は、体育会系とは真逆の人間で、自分の気持ちを優先するタイブです。行きたくもない誘いに乗って行ったところで無理して自分の感情を抑えていることがしんどいし、仮に抑えられたとしてもいずれは相手にばれます。誘った側も誘われた側もお互いにいいことはありません。そうなるぐらいなら自分の感情に正直になって断ったほうがお互いのためにもいいと思います。人間は一人一人価値観が違います。この違った価値観をお互いに認め合うことが、良好な関係を築く1つの要因だと思います。残念ながらゴルフ部には、こういった文化がありませんでした。

B3

情報環境実験

学部の3年では、1年間に渡って火曜日の昼からのコマを全部使い、情報サイエンスに関する実験を行います。大学生の4年間で一番しんどかった授業です。その分、とてもよく覚えています。内容は、4人1組となって様々な実験・課題に取り組んでレポートにまとめます。レポートの量がとても多くて、レポート締切の前日は必ず徹夜しました。このレポートは友達と取り組んだからこそ乗り越えられたと思っています。 情報環境実験では以下の実験・課題に取り組みました。

  • PC組立 / Linux / Webサーバー / CGI / SQLを1つのWEBページにまとめる

リンク先:https://riest817.github.io/work/infoexpr1_k05/index.html

  • LEGOロボットによるプログラミング演習

リンク先:https://chausson9.eng.kagawa-u.ac.jp/App/LegoExrc/neoLegoWiki/

  • ポーカーの戦略(C言語で)
  • 五五の戦略(Java言語で)

研究室に配属

本大学では、3年生の夏ごろに研究室配属の希望をとり、GPAや面談を通して秋ごろに研究室の配属が決定します。私よりも成績が優秀な学生と希望する研究室が被ったらGPAの殴り合いが始まります。自分のやりたい研究に近い研究室に行きたいが、優秀な学生の希望する研究室は避けなければなりません。つまり、情報心理戦が繰り広げられます。幸いにも私は第1希望の研究室に配属できました。私が配属した研究室では、プログラミング言語処理系・ Web ベースプログラミング学習システムなどを研究しています。自分のやりたいことと一致していたので良かったです。

研究室のリンク先:https://ymir.eng.kagawa-u.ac.jp/

B4

大学院の進学決定

4年生になると周りは就職活動が本格化してきます。私は、大学院に進学する決意をしました。というのも、GPAの成績から本大学の大学院の推薦をしてもらえるとのことでした。推薦での進学では、進学に必要な試験は免除され面接(行けば100%通過)のみでした。GPAは、学部1年次では2を切っていましたが、このままではまずいと考えプログラミング科目を筆頭にコンピューターサイエンス系の科目は真面目に受けました。そのかいもあって、学部4年次は2後半のGPAまで引き上げました。ちなみに、この時期は就職活動は一切行ってません。インターンシップも行ってません。今思えば1社ぐらいは行っといても良かったかなと思います。

卒業論文

学部の4年生では、卒業要件に必要な授業の単位も取り終え、就職活動もせず、院への進学も推薦が決まり試験の勉強をする必要がなかったので、研究室でひたすら卒業論文の研究を行っていました。研究内容は、Blocklyに関する実装を行っていました。まずは、Googleによって開発されたBlocklyから少しずつ独自のシステムにアレンジしていきました。本格的なシステムを1人で構築できることにとてもやりがいを感じていたので、この頃の研究はとても楽しかったです。

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Blockly

さいごに

大学生での4年間を学年ごとに主要なイベントでまとめました。このブログ記事を通して私がどのような大学生活を送っていたのかを少しでも知ってもらえたら幸いです。

20卒 情報系大学院生が就職活動を振りかえる

まずは自己紹介

就職活動を始めたきっかけ

それは大学院1年(以下M1)の夏のときでした。その当時の私の生活は、大学行って講義を受け空いた時間に研究し、大学終わればバイトとゲームぐらいしかやっていませんでした。サークルも学士を卒業したのをきっかけに辞めてしまったし、わりと平凡で刺激のない生活を送っていました。

そして、夏休みに突入すると、講義が無くなり暇な時間ができます。その分、研究やバイトを頑張ればいいってなるんですけど、なんか非日常的なことをしたいってことで「就職活動」の一環でインターンシップに参加してみるかってなったのが就職活動を始めるきっかけでした。

M1 夏のインターンシップ

どこの企業のインターンシップを受けるかってときに、研究室の先輩のOB訪問で知った企業(以下A社)とマイナビで見つけた地元と東京に本社を構える企業(以下B社)に行くことに決めました。当時、就活の軸も全く定まっていない状態で、悩んだわけでもなくほぼ直感で決めました。

研究室の先輩のOB訪問で知ったA社のインターンシップ

大阪で開催された1Dayインターンシップでした。交通費は自己負担でした。昼からの開催だったので当日の朝に出発していきましたが、駅を降りた直後に迷子になり集合の5分前に到着というギリギリの状況でした。開催場所は駅内の通路に通じるビルの一角で、田舎者の私にとって都会の複雑な駅内の構造にとても混乱しました。

Sier企業なので参加者はスーツの人が多く(夏でも男性は背広にネクタイ)、数人私服の人もいました。私も背広にネクタイをしめスーツで行きました。会社の人事の方の雰囲気は割と硬い感じでした。

インターンシップの内容

まず簡単に会社説明会をした後、4,5人のグループに分かれ、顧客の要望からチームで話し合って、配布されたカードから顧客の要望にあったシステムの案を決定するといった内容でした。結果が点数として反映されるのでチームの順位が決まります。当然ながら、チームメンバーはみんなガチでした。私も本気で挑みましたが、ついていけないことが多く、確実に足を引っ張ってた自覚はありました。チーム内の一人が自分にイライラしていたのはとても覚えています。インターンシップを終えた後は、めちゃくちゃ疲れたし自分の無力さを痛感した1日でした。

マイナビで見つけた地元と東京に本社を構えるB社のインターンシップ

岡山で開催された1Dayインターンシップでした。交通費は企業側が負担して頂きました。こちらも午前10時からの開催で当日出発で行きましたが、

また迷子になり企業の人に電話をして迎えに来てもらい30分ぐらい遅刻してしまいました。遅刻原因ですが、マイナビのサイトに載っていた場所をGoogle Mapで調べて行ったのですが、どうも企業側がインターンシップ開催場所を変更していたらしく、マイナビに載っていた場所は更新されていなかったのが原因でした。それなら自分以外にも遅刻者がいて当然だったのですが、遅刻したのは7~8人中?自分1人でした。あとでインターンシップ参加者にこの件を聞いてみると、他の人も迷っていたそうだが、その人らは岡山出身でグループで来ていてどうにか開催場所に辿り着けたそうでした。

こちらもSier企業で参加者は全員スーツでしたが、夏だったので背広とネクタイは外すように推奨されクールビズ状態で参加しました。雰囲気は、社員の方がみんなとてもきさくな方で雰囲気はA社と比べると柔らかかったです。

インターンシップの内容

簡単に会社説明会をした後、昼食休憩をはさみ、昼から3~4人のグループに分かれました。内容は、顧客の要望された内容からチームで話し合い、最終的にプレゼン形式でシステムの提案を行うというものでした。チームで競い合う雰囲気はあまりなく自由度が高いグループワークでした。私はなぜかチーム内の多数決でリーダーに任命されたのですが、あまりリーダーシップを発揮できませんでした。この日も自分の無力さを痛感した一日でした。

M1 10月~12月

この期間は授業に研究に学会もあったので就職活動はほとんどしていませんでした。年明けには就職活動を再開しておこうということで、12月にとあるゲーム会社のインターンシップに応募しました。その企業は有名でありとても人気のある企業だったのでインターン応募にも選考がありましたが、無事通過しました。

あと、8月にインターンシップに参加したB社のエントリーの申し込み期間が開始されてあったので、早いうちに面接の経験を積んでおこうとB社にもエントリーしました。

自己分析

このころに自己分析を始めました。私は学生期間何を頑張ってきたのだろうと考えた結果、プログラミングとバイトでの塾講師でした。

プログラミングは、情報系の学生の中でも自分は得意であるという自信はあったし、コンテスト形式の順位のつく演習授業はめっちゃ楽しかったです(実際に最終の演習試験で40人ぐらい?中2位)。学外でのプログラミングコンテストにも参加していました(ICPC)。

バイトでの塾講師でも人に自分の知識を教える仕事は楽しかったし、大学4年の頃は家庭教師も合わせて週5で働いていました。講師リーダー第1号にも任命されました(塾が開講してまもない頃)。

そして、当時ニュースで話題になってたのが、「2020年公立小中学校プログラミング必修化」でした。このニュースを目にした私は、この業界なら自分の経験を活かせそうかもと思いました。 私の就職活動の軸が「プログラミング教育」と定まりました。

某ゲーム会社でのインターンシップ (1月)

大阪で開催された1Dayインターンシップでした。朝10時?(記憶定かでない)からの開催だったので前日入りで行きました。交通費は企業側が負担して頂き、宿泊費は自己負担でした。服装がゲーム会社なので、私服で行きました。参加者全員私服でした。当然ですね。あと今回は迷子にならなかったですし、余裕をもって30分前には行っていたので一番乗りでした。開場していませんでした笑

内容

プログラマー部門、デザイナー部門などに分かれます。私はプログラマー部門でした。これは応募の段階で決定しています。プログラマー部門の内容は、1人1台のデスクトップPCのある席に座り、簡単な説明をした後は黙々とゲームを動かしながらコーディングしていきます。あまり詳しい内容は話せないのですが、今まで参加したインターンシップの中で圧倒的にこれが楽しかったですね。ただ、参加者のレベルはめちゃくちゃ高かったです。

最後に、参加者がそれぞれ持参してきたポートフォリオを発表しあい現場のゲーム制作者の人たちに評価してもらいます。自分は以下のものを発表しました。 トレジャー迷路 meiro.jpg まあでも他の参加された方々のポートフォリオのクオリティーの方が圧倒的に高かったですね。そして、興味本位で応募したゲーム業界へのインターンシップの経験から他の参加者のスキルの高さを目の当たりにしてゲーム業界への就職は断念します。

B社での選考 (1~2月)

B社での選考スケジュールは、 集団面接&筆記試験(in香川) => 個人面接(in香川) => 最終個人面接(in大阪) でした。

香川にも本社を置く会社ということもあり、面接はほぼ香川で開催させて頂きました。場所が香川ということだけでもとてもやりやすかったです。初めての就活での面接でとても緊張したのですが雰囲気はめちゃくちゃ良かったですし、手ごたえもありましたね。結果的に、2月の段階で内々定を頂けました。今思えばあの雰囲気を作ってくださった面接官の方々と人事の方には感謝しかないです。

合同企業説明会 in 東京 (2月)

研究室の友人に誘われて理工系業界研究ツアーin東京に行きました。こちらは1万円の参加費で2泊3日で交通費宿泊費をセミナー主催者側が負担してくれて新幹線と高級ホテル(私のときは品川プリンスホテルだった)の予約も手配してくれるという手厚いものでした。

内容は、参加企業100社ぐらい?から事前に選択した20社ぐらいの会社説明会(40分)を連続して聞くというものです。実際に参加して思ったのは、理系企業の多種多様な企業が集まるので自分の要望通りの会社説明会だと有意義な時間を過ごせるのですが、中には希望しなかった企業の説明会も自分の時間割に入れられていることがあるのでその間はとても退屈です。

スケジュールが明けられるのであれば、行って損はしないセミナーだと思います。実際に、私はこのセミナーでいくつかの会社のエントリーを決めました。ただ、私の就活の軸である「プログラミング教育」に関わる企業というのは見つかりませんでした。

就職活動本格的にスタート (3月)

3月は一斉に企業が選考を開始する時期です。私も「プログラミング教育」に関係のある様々な企業にエントリーしました。トータルでは7社エントリーし、文系の学生と比べるととても少ないですが、自分の周りでは多い方でした。中には推薦で1社しかエントリーしないといった友人もいました(理系大学院生ではわりと珍しくない話)。また、私がエントリーした企業は大企業や有名な企業がけっこうな割合を占めていました。新卒就活生がなりがちな俗にいう「大手病」です。今までわりと順調だった私の就職活動は、ここから狂いだしります。

数々の企業での選考 (4月~ 5月)

エントリーした企業で開催される単独の会社説明会にいろいろ参加しました。エントリーした企業の選考に進むには会社説明会に参加するのが必須ですから。私が予約した会社説明会は全て交通費自己負担でした。大手の企業だと倍率も高く選考が何重にもあります。なので、香川~大阪間をバスで何往復もしました。都心の学生が羨ましい。この時期の出費はまじで半端なかったです。そして結果、お祈りされるという。推薦で応募した企業にもお祈りされました。当時の私は、大学院の理系の推薦は最強という謎の慢心がありました。今思うとこの慢心がまずかったですね。

持ち駒がゼロに (6月)

3月にエントリーした企業に全てお祈りされ、持ち駒がゼロになりました。あるのは2月に受けたB社の内々定だけです。この時点でそのB社に決めて就職活動を終わらせようとも思ったのですが、B社は、自分のやりたい「プログラミング教育」に関する事業をやっていませんでした。もう少し就職活動を続けたかったので、8月の夏のインターンシップに参加したA社にエントリーすることになります。

A社での選考 (6月~7月)

A社は、文教分野での事業を展開しているSier企業で、「プログラミング教育」に関する仕事に携われそうな企業です。しかし、実は私は今までのA社を避けて就職活動をしていました。理由は、8月に参加したインターンシップであまりいい思い出が無かったからです。でも自分のやりたいことには合致していた部分があったのでエントリーしました。

A社での選考スケジュールは、 会社説明会&筆記試験(in大阪)=> 個人面接(in大阪)=> 最終個人面接(in東京) でした。

面接の雰囲気は、硬い感じで面接官3人対私1人で面接官と私の間に絶妙な距離感がありました。本当に昔ながらのTHE面接って感じです。人事の方もあまり笑顔がなく表情が硬かったです。結果は、最終面接まで行き無事内々定を頂けました。ただビックリしたのは、内々定の結果報告の早さです。電話での報告だったのですが、内々定の結果報告が翌日の午前中で今までの選考結果報告のなかで断トツで早かったです。

余談ですが、最終面接のときに、電車が止まっていたので東京駅から面接会場まで歩いていきました。インターンシップで遅刻した経験から、余裕をもって東京駅に到着したおかげで遅刻せずに現場に到着できました。

内定を固める (8月)

最終的に内々定を頂いたのは2社で、偶然にもどちらもインターンシップに参加した企業でした。もうこれ以上就職活動をする気力はなかったので(金銭面でも限界)、内々定を頂いたA社とB社の2択で迷った結果、A社に決めました。理由は、A社はまず文教分野(プログラミング教育)で事業を展開している点と福利厚生でした。B社にお断りの連絡をしたときはとても心が痛かったです。

そして、A社への入社に決めた途端にその翌日から私は内定ブルーになります。内定ブルーになった経緯、理由と今に至るまでの経緯はまた別の記事で書こうと思います。

まとめ

  • エントリーした企業7社その中で内々定2社
  • 内々定を頂いた2社はいずれもインターンシップ参加経験あり
  • 地方の学生は、都心の学生に比べて金銭面的にも距離的にも圧倒的不利
  • 遠方から来る場合は前もって計画をして遅刻しないように余裕をもって現地に到着する

さいごに

私の就職活動を振り返って経験したことをアウトプットしたいと思いこの記事を書きました。21卒以降のこれから就職活動をする学生1人でも多く読んで頂ければ幸いです。思いつくままに書き連ねていったので文章がまとまっていない箇所もあると思います。

自分の就活体験記をより良いものにしていきたいので、今後もこの記事は編集していこうかなとも考えております。